1951-02-02 第10回国会 参議院 厚生委員会 第4号
昭和二十四年七月から米原、大津、彦根、八幡町等の各地において鮮人の自由労務者が中心になり、或いは完全就労、反税、生活保護法の全面適用、越冬資金、被検者の即時釈放、レツド・パージ反対等の要求を掲げ、青少年をかり立て、事件を起していたが、昨年十二月一日においては鮮人三名が大津の検事正に面会し、被検束者の即時釈放、武装警官の出動排斥等を要求中、女子三十人、学童五十人くらいで二度に亘つて検察庁に押しかけ、革命歌
昭和二十四年七月から米原、大津、彦根、八幡町等の各地において鮮人の自由労務者が中心になり、或いは完全就労、反税、生活保護法の全面適用、越冬資金、被検者の即時釈放、レツド・パージ反対等の要求を掲げ、青少年をかり立て、事件を起していたが、昨年十二月一日においては鮮人三名が大津の検事正に面会し、被検束者の即時釈放、武装警官の出動排斥等を要求中、女子三十人、学童五十人くらいで二度に亘つて検察庁に押しかけ、革命歌
詳細を私が目撃したわけでもないのでありますから、私自身からは十分御説明ができないかもしれませんけれども、とにかくそこでレツド・パージ反対等の運動をやりましたところ、一部の学生がそれに非常な反対をいたしまして、たまたま廊下に学校常備の消化ホースがあつたのでありますが、それを一人か二人でかかえ出しまして水をぶつかけた、こういう事態が起つた。